2010.07.07 (Wed)
「アバター」ヒットで一気に火がついた3D技術ですが、
歴史は非常に古いんですよね。
最近まで一番身近だった3D技術というと、青と赤のレンズがついた
メガネをかけるアナグリフ式だと思います。
この方式の歴史は非常に古くて、アナグリフ方式で
商業映画が初めて公開されたのは、なんと1915年!!!
今と比べると、まだまだショボかったと思いますが、
製作・興行側も観客も、立体映像に対してはお金を惜しまなかったんですね。
まぁ映画自体、昔はただの見せ物に過ぎなかったワケだから、
あくまでもアトラクション感覚ですね。
1970年代も科学万博やアトラクションを始め、
アナグリフ式で公開された映画もぼちぼちありました。
「ジョーズ3D」とか「13日の金曜日 PART3」とか。
これらはとても優れた映画ではありませんでしたが、
90年代にシネコンが台頭するまでは、制作者たちは、
観客に足を運ばせるために、あの手この手で、
ちょっとでも話題を作るために、仕掛けをつけて公開する事がありました。
匂いが出るシートを渡されて、それをこすりながら鑑賞するオドラマ・システム(ジョン・ウォーターズの「ポリエステル」)。
映画のシーンに合わせて、シートが振動したりフェロモンを噴出するアロマトリックス(奥山和由版「RAMPO」)。
いずれにせよ、こういう仕掛けのある映画の事を、
昔はギミック映画と呼んでいて、ストーリーなんかは二の次で、
仕掛け第一だったわけで、上映時間も短く、
「え?これで終わり!?」みたいな映画だらけ。
先日、映画評論家のロジャー・エバートがニューズ・ウィーク誌に、
「3D騒ぎが映画をダメにする9つの理由」というコラムを執筆しました。
そこで語られているのは、非常に現実的な事ばかりで、
意外にも平凡な内容だったのですが、
ひとつだけ共感できる事が書かれていました。
9つあるうちの2番目に書かれている文です。
~ここから引用~
(2)より深い感動を与えることはない
心を揺さぶられた映画を思い出してほしい。3Dにする必要があるだろうか。
偉大な映画は私たちの想像力を刺激してやまない。
『カサブランカ』が3Dになっても、感動が大きくなることはない。
~引用ここまで~
「アバター」における3D上映方式は、仕組みこそデジタル処理にはなったものの、
やはりまだ錯覚を利用する方法にすぎず、擬似的に立体的に見せているだけです。
「3D」というのは平面上の「3D」を指しているわけで、
「まるでそこにいるかのような」錯覚には至りません。
しかし、映画を観て感動するのに、
「そこにいる」必要ってあるのでしょうか?
インディ・ジョーンズがすぐそばにいると確かに楽しいかもしれないけど、
映画のほとんどは「神の視点」で撮影されていて、一定の客観性を持って
観れるからこそ、ストーリーに集中できるわけです。
キャメロン自身が語っている通り、3D上映技術はあくまでも技術であり、
映画にとって大事なのは、ストーリーであったり、撮影や編集なワケです。
まぁ、こういう仕掛けのある大作なんかは「イベントムービー」として、
お祭り感覚で観るに限ります(「インデペンデンス・デイ」とか「アルマゲドン」のような)。
なんでもかんでも3Dにならない事を祈ります。
ウエダでした。
歴史は非常に古いんですよね。
最近まで一番身近だった3D技術というと、青と赤のレンズがついた
メガネをかけるアナグリフ式だと思います。
この方式の歴史は非常に古くて、アナグリフ方式で
商業映画が初めて公開されたのは、なんと1915年!!!
今と比べると、まだまだショボかったと思いますが、
製作・興行側も観客も、立体映像に対してはお金を惜しまなかったんですね。
まぁ映画自体、昔はただの見せ物に過ぎなかったワケだから、
あくまでもアトラクション感覚ですね。
1970年代も科学万博やアトラクションを始め、
アナグリフ式で公開された映画もぼちぼちありました。
「ジョーズ3D」とか「13日の金曜日 PART3」とか。
これらはとても優れた映画ではありませんでしたが、
90年代にシネコンが台頭するまでは、制作者たちは、
観客に足を運ばせるために、あの手この手で、
ちょっとでも話題を作るために、仕掛けをつけて公開する事がありました。
匂いが出るシートを渡されて、それをこすりながら鑑賞するオドラマ・システム(ジョン・ウォーターズの「ポリエステル」)。
映画のシーンに合わせて、シートが振動したりフェロモンを噴出するアロマトリックス(奥山和由版「RAMPO」)。
いずれにせよ、こういう仕掛けのある映画の事を、
昔はギミック映画と呼んでいて、ストーリーなんかは二の次で、
仕掛け第一だったわけで、上映時間も短く、
「え?これで終わり!?」みたいな映画だらけ。
先日、映画評論家のロジャー・エバートがニューズ・ウィーク誌に、
「3D騒ぎが映画をダメにする9つの理由」というコラムを執筆しました。
そこで語られているのは、非常に現実的な事ばかりで、
意外にも平凡な内容だったのですが、
ひとつだけ共感できる事が書かれていました。
9つあるうちの2番目に書かれている文です。
~ここから引用~
(2)より深い感動を与えることはない
心を揺さぶられた映画を思い出してほしい。3Dにする必要があるだろうか。
偉大な映画は私たちの想像力を刺激してやまない。
『カサブランカ』が3Dになっても、感動が大きくなることはない。
~引用ここまで~
「アバター」における3D上映方式は、仕組みこそデジタル処理にはなったものの、
やはりまだ錯覚を利用する方法にすぎず、擬似的に立体的に見せているだけです。
「3D」というのは平面上の「3D」を指しているわけで、
「まるでそこにいるかのような」錯覚には至りません。
しかし、映画を観て感動するのに、
「そこにいる」必要ってあるのでしょうか?
インディ・ジョーンズがすぐそばにいると確かに楽しいかもしれないけど、
映画のほとんどは「神の視点」で撮影されていて、一定の客観性を持って
観れるからこそ、ストーリーに集中できるわけです。
キャメロン自身が語っている通り、3D上映技術はあくまでも技術であり、
映画にとって大事なのは、ストーリーであったり、撮影や編集なワケです。
まぁ、こういう仕掛けのある大作なんかは「イベントムービー」として、
お祭り感覚で観るに限ります(「インデペンデンス・デイ」とか「アルマゲドン」のような)。
なんでもかんでも3Dにならない事を祈ります。
ウエダでした。