先週に引き続き、AIR JAMのお話を。
『AIR JAM』は、Hi-STANDARDを中心に企画されたイベントで、
東日本大震災をきっかけに日本全土に「元気を届ける」ため、
2011年に11年ぶりに復活しました。
ライブはもちろん楽しかったのですが、やはり復興支援が目的のイベント。
それぞれのバンドが「震災の事」「原発の事」「復興の事」を考えていて
その思いをMCで、歌で語るんです。
中でも、言葉が突き刺さったのがBRAHMAN TOSHI-LOWのMCでした。
さっきまで騒がしかった会場が静まり返り、すすり泣く声が聞こえてきました。
あれから1年と半年が経ち、考えなくてはいけない問題のに・・・
自分はどんどん考える時間が減っていました。
今、「あたりまえ」な事が「あたりまえ」じゃなくなる日がくるかもしれない。
その時になって後悔しないためにも、今できる事やらないとな。と。
下記がTOSHI-LOWのMCです。
全文ではありませんが、気になった方は読んでみてください。
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宮城県沖地震、これから30年の間に絶対起きるって言われてて、
俺がいないときのことを考えて、子供や孫たちにしっかり伝えて。
もし何かあったら買占めすんな、分け与えろって。
ボランティア行けって。
もし音楽やってたらライブハウス作れって。
音楽鳴らしてフェスやれって。
男が泣くなんて格好悪いと思ってたけど、あの日から今日まで何回も泣いた。
石巻の沿岸で「お母さん!」って泣きながら歩いてる子供を見て泣いた。
100歳のお爺ちゃんが避難所で自殺した話を聞いて泣いた。
皆の邪魔にならないようにって
「お墓に避難します」って亡くなった93歳のお婆ちゃんの話を聞いて泣いた。
町民のために防災無線でアナウンスし続けて被災された
南三陸町の職員の話を聞いて、泣いた。
大船渡の、何も無くなったって言ってた友達が、
震災から暫くして自分の車が発見されて、後部座席の泥の中から足が見付かって、
掘ったら自分の息子が出てきたって。苦しそうな顔してたって。
その話聞いて….泣いた。
昨日は福島でライブ終って歩いてたら、「これ使って下さい」って封筒渡されて。
手紙を読んだら、これは原発の見舞金ですって。
汚ぇ金だけどって、分厚い封筒で。中身は東電からの補償金全額。
俺は音楽に救われたから、ライブハウスつくるのに使ってくれって言われて。
また泣いた。
震災があるまでは、東北のこと何も知らなかった。
何で関東の電力の殆どを東北が供給しなきゃなんねぇ?
何で核のごみを六ヶ所村が引受けなきゃなんねぇ?
何でモノづくりの拠点がそんなの押付けられなきゃなんねぇ?
東北のことを何も知らなかった。
ちょっと前までこの東北では子供の口をふさいで、
間引きしなきゃなんなかったって。
凄く貧しかったって。
何も知らなかった。
遠くの都会ために原発があって青森に処理場があって、
震災の後もまだ街に明かりはなく、何も変わらない。
何も終ってない。
変わらない日常….
変わらない世界….
本日晴天の….」
胸が締め付けられます・・・
MCの後に歌った「霹靂」にも。TOSHI-LOWの話にも。
忘れちゃいけないし、絶対に風化させてはいけないな。と思いました。
※コチラが全文です。
山崎でした。
AIR JAM2012 その1